ひどすぎる!戦国時代の名軍師・山本勘助が養父に勘当されてしまった理由とは?:2ページ目
勘助の旅はまだまだ続く……。
「え、武者修行……にございますか?」
「うむ。諸国を巡って家老職に相応しい見識を養うのじゃ」
元服した勘助は、貞次の勧めによって旅に出されることとなりました。しかし現代とは違い、身体壮健な者であっても旅には多くの困難が伴う時代です。
「古来『可愛い子には旅をさせよ』と申すではないか。一回り大きな男になって戻るのを、楽しみにしておるぞ!」
身体の不自由な勘助が無事に帰れる見込みは薄い……どう見ても体のよい厄介払いでしかありませんが、無理に断れば後継者としての資質を疑われかねません。
「……ははぁ」
かくして武者修行の旅に出た勘助は、諸国を見聞しながら大猪を退治したり武芸者と勝負したり、各地の人材と交流したりなど様々なことを学び、大きく成長したそうです。
時には身体が辛かったり、あるいは容姿を笑われたりなど少なからず困難もあったでしょうが、それでも長旅を乗り越え、ようやく帰って来た勘助を待っていたのは……貞次からの勘当(かんどう。親子の縁を切る)宣告でした。
「何ゆえにございますか!?」
命じられるままに旅へ出て、帰ってきたら勘当だなんて、いくらなんでもあんまり過ぎます。せめて理由を……取りすがる勘助に、貞次は冷たく言い放ちます。
「そなたが出て行ったあと、間もなく嫡男が生まれたのじゃ。よってそなたは用済み。以上!」
「……そんな……」
大林家の跡取りに相応しい武士となれるよう、ずっと精進してきた結果がこの仕打ち……勘助の絶望は想像するにあまりあります。
その後、信玄公との出逢いによってその軍才を開花させるまで、勘助の長く苦しい旅路はまだまだ続くのでした。
※参考文献:
笹本正治『軍師 山本勘助【語られた英雄像】』新人物往来社、2006年12月
上野晴朗ら編『山本勘助のすべて』新人物往来社、2006年12月