京都に残る旧色街「五条楽園」。ディープな遊郭・お茶屋の街からレトロで個性あふれる街へ【その2】
世界的な観光地・京都にあって「足を踏み入れてはいけない」タブーなエリアの一つであった元遊郭地帯・五条楽園。【その2】では、2010年の取り締まりの末、色街として壊滅した五条楽園の闇をご紹介します。
【その1】も合わせてご覧ください!
京都に残る旧色街「五条楽園」。ディープな遊郭・お茶屋の街からレトロで個性あふれる街へ【その1】
世界有数の観光地として知られる京都……1200年間の歴史を育んできた都だけに、実に奥深いものをその懐に抱いています。中には、「足を踏み入れたり、近寄ったりしてはいけない」など、一般の観光客には…
売春防止法施行以降も色街として存続
五条楽園の成立は、江戸時代後期頃とされます。昔から京都は、西陣織・京友禅・清水焼などを産する伝統産業の中心地で、多くの職人たちが暮らしていました。そんな彼らの遊び場として、遊郭などがある色街が存在していたのです。
もともとは複数の遊郭だったものが、大正時代に合併後は「七条新地」の名前で芸妓(※1)と娼妓(※2が)混在する色街でした。
※1芸妓:踊りや楽曲などの芸で主席の取りもちを行う芸者など
※2娼妓:遊郭や宿で男性に性的なサービスをする女性
しかし、1958年(昭和33年)の売春防止法が施行されたにもかかわらず、五条楽園は色街として存続しました。
そのためか、年頃の娘を持つ京都人は「あそこに足を踏み入れたら、嫁に行かれへんで」と言い聞かせていたそうです。
五条楽園は、男たちの快楽を得られる楽園ではあっても、働く女性たちにとっては金のために肉体を売りらなければならない世界。
一般的には、足を踏み入れづらい場所であることが、五条楽園の闇の部分だったと言えるでしょう。
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