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なんと生涯で敗訴73回!それでもめげない戦国武将・曲淵吉景のまっすぐで不器用な人生

なんと生涯で敗訴73回!それでもめげない戦国武将・曲淵吉景のまっすぐで不器用な人生

75回にも及ぶ訴訟の内、勝訴できたのはたったの1回、ほか和解した1回を除いて、残り73回はすべて敗訴。ほとんど負けっ放しです。

「あのなぁ勝左、世の中ってのは正論だけでは通らんのじゃよ……」

「やかましい!間違っておるものは間違っておるのじゃ!」

73回もの敗訴にもめげることなく、どこまでも正義を求めて暴走した勝左衛門でしたが、そのタフなメンタルには驚かされるばかりです。

そんな調子で、どこまでも真っ直ぐに忠義を尽くした勝左衛門が板垣家を離れたのは天文十三1544年。晴信が信州佐久の小田井城を攻略した際、城主の小田井又六郎(おたい またろくろう)、小田井一郎左衛門(いちろうざゑもん)兄弟を討ち果たす武功により、晴信の直臣(※)に取り立てられたのでした。

(※)じきしん。大名に直接仕える家臣。家臣の家臣は「陪臣(ばいしん)」と言います。

「御屋形様……この偏屈者を、草履取りよりお取立て下さった御恩は、決して忘れませぬ」

「何を大袈裟な……これまでもこれからも、武田家のために奉公するのは変わらぬではないか」

「……御意」

3ページ目 「お父上から受けた御恩を……」

 

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