外来語をカタカナ表記で統一したのは江戸時代の学者「新井白石」による書物がはじまり
今では、日本語で外来語や外国人の名前などを表記するときは、無意識のうちにカタカナで書くことがあたりまえになっています。
私たちは小学生のときから、学校でそのように指導されてきました。
「外来語はカタカナで書く」というルールを初めて徹底したのは、実は「新井白石(あらいはくせき)」(1657~1725)だといわれています。
新井白石といえば、歴史の教科書の江戸時代のところにも必ず出てくる重要人物。儒学者として、6代将軍・家宣、7代将軍・家継に側用人として仕え、1709年から1716年までの約7年間、後に「正徳の治」と呼ばれる政治改革を行った中心人物です。
さて、そもそも日本に外来語が入ってくるようになったのは、15世紀から16世紀の戦国時代のこと。宣教師を中心とした南蛮人らによって、「ジャポン」「マリア」「カステラ」などが伝えられるようになります。
当時は、聞こえてきた音を漢字や、ひらがな、カタカナなどに表記したりと様々でした。通常はひらがなと漢字交じりの文にはひらがなで、カタカナと漢字交じりの文ならカタカナで書かれることが一般的でした。
それを、外来語だけカタカナ表記した最初の日本人が、新井白石でした。
白石は、イタリア人宣教師ユアン・バッティスタ・シドッチから世界の様々なことを聞き出してまとめた『西洋紀聞』という書物のなかで、外来語をすべてカタカナ表記に統一することによって、異文化の異なる雰囲気を読み手にうまく伝えるということに成功したのです。
ちなみに、いわゆる“伸ばす言葉”(長音)を「ー」で表記することを考案したのも新井白石。それ以後、蘭学の研究者はこれを受け継ぎ、明治時代になって外来語が急激に増加すると、学校教育でも外来語を片仮名で書くよう指導することになっていったのです。
参考
- 岩波文庫) 『西洋記聞』(1936
- 日本語俱楽部 『語源』 (1997 夢文庫)