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流れ星から怨霊、そして隠し神に。日本を代表する妖怪「天狗」の歴史・変遷

河童とともに日本を代表する妖怪、天狗。そのイメージの変遷を見てみましょう。

河童とともに日本を代表する妖怪「天狗」。そのイメージの変遷を見てみましょう。

アマツキツネからカラス天狗へ

天狗についての日本最古の記述は『日本書紀』にあります。舒明九年(西暦367年)、都の空を東から西へ横切った大彗星を見て、中国から帰ってきたばかりの僧、旻(みん)が「流星にあらず、これ天狗(アマツキツネ)なり」と言いました。つまり古代中国では、天狗とは流星や彗星を指す言葉だったのです。

その後300年以上、天狗に関する記録は途絶えます。そして平安時代になってやっと天狗は、「天狗すだま」「天狗こだま」と呼ばれる、山に棲む一種の物の怪として登場します。

12世紀中ごろに成立した仏教説話集『今昔物語』において、今まで目に見えない妖怪だった天狗に可視的要素が加わり、カラスのような頭部と空を飛ぶ羽根が印象的な「カラス天狗」が誕生します。

当時の天狗は仏法に対立する存在とされ『今昔物語』においてもことごとく比叡山の僧侶に撃退される形で登場します。天台宗の仏法の威力を証明するために利用されたともいえます。一方で、牛若丸に剣術を教えるなど仏法の擁護者としての側面もありました。

怨霊から大天狗へ

南北朝時代に入ると天狗は仏敵から怨霊へと変化し、朝廷や公家社会をおびやかす、政争の敗北者としての性格を持つようになります。例えば『保元物語』では、乱に敗れた崇徳上皇が生きながら天狗となり天狗の首領として登場するのです。当時は怨霊が乱世を操り演出しているような認識があったのでしょう。

室町時代末期、天狗の外見に大きな変化が現れます。

それまでの半人半鳥のような姿にかわって、赤ら顔に長い鼻、一つ歯の高下駄、葉ウチワといった特徴をもつ大天狗(鼻高天狗)の登場です。その創始者は狩野元信とされ、京都の鞍馬寺が所蔵する「鞍馬大僧正坊図」が最古の鼻高天狗の図像とされています。

2ページ目 隠し神としての天狗

 

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