前回のあらすじ
家督が継げなきゃ自力で家を興す!関ヶ原で活躍した信長の甥・織田長孝の武勇伝【上】
戦国武将の織田(おだ)家と言えば、ほとんどの方が天下布武を唱え、「第六天魔王」の異名で恐れられた風雲児・織田信長(のぶなが)をイメージすると思います。確かに、若い頃の「うつけ者」ぶりをはじめ、…
織田信長(おだ のぶなが)の甥っ子である織田河内守源二郎長孝(かわちのかみ げんじろう ながたか)は、父・織田源五郎長益(げんごろう ながます。有楽斎)と共に関ヶ原合戦(慶長五1600年)に東軍として参加。
死闘の末に西軍の猛将・戸田武蔵守半右衛門重政(とだ むさしのかみ はんゑもん しげまさ)を討ち取り、更なる武功を求めて敗走する西軍を追撃するのでした……。
初陣で二将を討ち取ったが……涙する諸将と、打ち砕かれた村正の槍
源二郎は敗走する西軍へ更に追い討ちをかけ、西軍の総大将・石田治部少輔三成(いしだ じぶのしょうゆう みつなり)が落ち延びた後も抗戦する半右衛門の嫡男・戸田内記重典(ないき しげのり)も討ち取り、二つ目の首級を上げます。
「敵将・戸田内記、織田河内守が討ち取ったりっ!」
初陣で二将を討ち取る大手柄に、父もさぞやお喜び下さろう……凱旋後、意気揚々と首実検に臨んだ源二郎でしたが、半右衛門の首級を前に、多くの東軍武将たちが涙を流していました。
それもその筈……この半右衛門、西軍は元より東軍の諸将と交友が深く、父や(家来が首級を奪おうとして、源二郎の家来と相討ちとなった)津田信成とも仲が良かったそうで、広く声望を得ていたことが判ります。
(何じゃ、これでは討ち取った儂が悪者みたいではないか……とは言え、討つも討たるも戦さの習いなれば、もはや詮方なき事じゃ……)
さて、気を取り直して首実検は執り行われ、「半右衛門を討ち取った槍が見てみたい」という家康の所望によって源二郎の槍が披露されます。
「ほぅ……これはなかなかの業物じゃ……」
薄く残った血糊に鈍る穂先の光にうっとりしてしまったのか、槍を捧げ持っていた近習が手を滑らせてしまいました。
「ァ痛っ!」