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戦国時代、日本の地で剣術を修めた外国出身の武士「李家元宥」のエピソード【上】

戦国時代、日本の地で剣術を修めた外国出身の武士「李家元宥」のエピソード【上】:3ページ目

朝鮮武人の心意気を見せた壮絶な最期

たった50名の援軍でしたが、日本軍に豪胆を見せつけたことによって南原城の軍勢は大いに沸き、勇み立ちました。

「よぅし、日本の連中に朝鮮武人の心意気を見せつけてやろうぞ!」

「「「おおぅっ!」」」

一方で、日本軍の陣営も「あれだけの豪胆を見せつけた朝鮮武人に負けてなるものか」と意気軒昂。両軍のテンションが最高潮に盛り上がる中、南原城の攻防戦が始まります。

北門を守る福男は、賤ヶ岳七本槍の一人として有名を馳せた加藤嘉明(かとう よしあき)、そして後に鬼石曼子(グィシーマンズ。鬼島津)と恐れられる武勇を示す九州の雄・島津義弘(しまづ よしひろ)を相手どって大いに奮戦。

激闘が8月12日から15日の4日間にわたって繰り広げられ、日本軍の進入をよく防いだものの衆寡敵せず、ついに南原城は陥落。最期まで降伏することなく福男はじめ諸将は戦死、ただ主将の楊元のみ僅かな家丁と脱出しました。

故郷に残した妻と、まだ幼い聖賢はどのような運命を辿るのでしょうか。

【続く】

※参考文献:
岡部忠夫『萩藩諸家系譜(復刻版)』松野書店、1999年1月
朝鮮総督府『朝鮮人名辞書』第一書房、1977年8月

 

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