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戦国時代、日本の地で剣術を修めた外国出身の武士「李家元宥」のエピソード【上】

戦国時代、日本の地で剣術を修めた外国出身の武士「李家元宥」のエピソード【上】:2ページ目

決死の覚悟で敵中突破!いざ南原城へ

「来たぞ!」

海上防衛線を突破された李氏朝鮮軍は、各地で必死の抗戦を繰り広げます。全羅兵馬節度使(陸軍の高級武官)に昇任していた福男は、明の楊元(よう げん)らが兵3,000で守備している南原(ナムウォン。現:全羅北道)城への援軍に向かいます。

しかし、先の戦闘で日本軍の恐ろしさを知っていた兵士たちは向かう道中に次々と逃亡、南原城へ近づいた頃には、50名しか残っていない有様。その一方で、50,000を超える日本の軍勢は既に南原城を包囲していました。

「……このままでは、入城はおろか近づく事さえ出来ぬ……」

城内では楊元ら3,000の明軍をはじめ、既に到着していた李氏朝鮮の援軍約1,000が決死の覚悟を固めていることでしょう。

「よしんば城に入れたところで、たった50名では……」

副将の金敬老(キム キョンロ)や申浩(シン ホ)らが一度引き返して、兵を集めることを進言しますが、福男は意を決しました。

「いや、行こう」

日本軍は今にも総攻撃を開始するであろうし、いくら兵を集めたところで戦に間に合わなければ意味がありません。また、一度退いてしまえば命を惜しむ心が生じるでしょう。戦わなかった理由など、後からいくらでもつけられるのですから。

「しかし、あの包囲の中をどうやって……」

「者ども、鑼角(らかく。角笛)を吹き、太鼓を打ち鳴らしながら進むのだ!」

隊伍を整えて威儀を正し、福男たちが悠然と進んでいくと、南原城を包囲していた日本軍は「何事か」と振り返ります。

あまりに堂々としていたため、その決死の覚悟に応えるべく日本軍もあえて攻撃せず、福男たちは無事に南原城へ入れたそうです。古来、勇士は勇士を賞賛こそすれ、こうした豪胆の振る舞いに乗じて攻撃を加えることを恥とする価値観を共有していたことが判ります。

3ページ目 朝鮮武人の心意気を見せた壮絶な最期

 

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