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滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」【その5】

滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」【その5】:2ページ目

墓所

幸盛の墓所は京都や山陰地方に点在している。中でも「阿井の渡しの墓(岡山県高梁市)」は幸盛最後の地として有名であり、墓跡が建立されている。

「観泉寺境内の墓(岡山県高梁市)」は幸盛の遺体が引き取られ埋葬された寺であり、位牌も安置されている。

幸盛の首は毛利輝元の元から、広島県の福山に送られたと考えられており、「静観寺山門前の首塚(広島県福山市)」には観泉寺と同様に位牌が存在する。

主家である尼子家の再興に生涯を捧げ、若くして散った山中幸盛には「山陰の麒麟児」と異名が付けられている。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったとされる幸盛。その生涯は悲運の英雄として今も広く語り継がれている。

 

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