後藤象二郎と板垣退助は子供の頃、本当に坂本龍馬をいじめていたのか?
坂本龍馬と言えば、幕末の志士の中でもっとも人気の高い人物の1人です。
その坂本龍馬の少年時代から33歳で暗殺されるまでの生涯を描いたマンガが、歌手・俳優・タレントとして活躍する武田鉄矢さん原作の『お~い!竜馬』でした。
1992年にテレビアニメ化されてNHKで放送されていたので、30代後半くらいの皆さんの中には覚えている方も多いのではないでしょうか?
【参考】おーい!竜馬[新装版] 1 (ビッグコミックススペシャル)
このマンガの中で印象に残るシーンの1つが、当時の土佐藩に存在した「上士による郷士(下士)への差別」です。
郷士出身の龍馬も、同じ土佐藩出身の後藤象二郎と乾(後の板垣)退助ら上士に、子供の頃から「ニセ侍!」などと罵られ、いじめられていました。
しかし、後藤象二郎は後に坂本龍馬の書いた『船中八策』を藩主・山内容堂に採用させたり、身分の低い龍馬に代わり幕府や御三家との交渉に当たったりと、龍馬とは協力関係を結んでいたことが知られています。
板垣退助も、龍馬が暗殺されたときに
「龍馬は細かいことにこだわらないおおらかな人だから、役人には向いていない。
もし龍馬が40歳まで生きていたなら、薩摩の五代(五代友厚、大阪の経済の基盤を作った)や土佐の岩崎(岩崎弥太郎、三菱財閥の初代総裁)のようになっていただろう」
という言葉を残しています。
作品中では、土佐藩の家老に就任し倒幕を目指す後藤が、龍馬を通して薩摩・長州藩と手を結ぶために、子供の頃から敵対していた彼と和解したというストーリーになっていましたが、そもそも龍馬は本当に彼らに子供の頃いじめられていたか、または何らかの面識があったのでしょうか?
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