信長だけが織田じゃない!マイナー織田家に仕えて信長に対抗した戦国武将・角田新五【上】
うつけ者・天下布武・第六天魔王……様々なキャッチコピーと共に戦国時代を駆け抜けた英雄・織田信長(おだ のぶなが)。
尾張国(現:愛知県西部)の地方領主から身を起こして次々と強敵たちを撃ち破り、天下人の道を驀進していった彼ですが、その序盤戦である尾張国を統一する過程についてはあまり言及されていません。
信長が家督を継いだ当時、尾張国内にはすっかり形骸化した守護職の斯波(しば)氏をはじめ守護代の織田一族が乱立し、互いに勢力を競っていました。
今回は、そんなマイナー織田家の一つに仕えて信長と戦った戦国武将・角田新五(つのだ しんご)のエピソードを紹介したいと思います。
信長の威を借りて主君・織田信次を挑発する織田秀孝
角田新五の出自や生い立ち、そして諱(いみな。本名)については未詳ですが、信長の叔父である守山城主・織田孫十郎信次(まごじゅうろう のぶつぐ)に筆頭家老として仕えていたことから、相応の家格を備えた譜代の家臣だったのでしょう。
新五の主君である信次は、父・織田信定(のぶさだ)、兄・織田信秀(のぶひで)、そして甥の信長と三代に仕え、天文二十四1555年4月20日に守山城主に任じられます。
そんな同年6月26日、信次が家臣を連れて松川渡し(現:庄内川。愛知県北西部)で川狩り(※)に興じていたところへ、信長の実弟である織田喜六郎秀孝(きろくろう ひでたか)が単騎でやって来ました。
「お、あれは守山の叔父御ではないか……(ニヤニヤ)」
信次をナメてかかった秀孝は馬から下りもせず、挑発するように近づいて行きます。
……と言うのも、信次は以前、兄・信秀の死に乗じて攻め込んで来た坂井大膳(さかい だいぜん)らに捕らわれ、人質にされてしまう(その後、信長らによって解放される)失態があったのです。
以来、信次は信長たちに頭が上がらず、兄・信長の威を借りた秀孝は、事あるごとに信次を腰抜けと見くびり、挑発したのでしょう。
事情を知っている家臣たちは「これ以上、主君の立場が悪くならないように」と堪忍したでしょうが、近ごろ仕官して事情を知らない中から、屈辱に耐えかねた若武者が現れます。