江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【上】:2ページ目
二代目・山本兵蔵幸房(二代目菅助)
※天文二十二1553年5月11日生~天正三1575年5月21日没(23歳)
晴幸の実子で幼名は兵蔵(へいぞう)、文献によって勘蔵信供(かんぞう のぶとも)と表記されることもありますが、これは伝説上の勘助と兵蔵が混じった通称かも知れません。
永禄四1561年9月10日(9歳の時)、川中島の合戦(第四次)で父・晴幸が討死したため、義兄(姉婿)の十左衛門尉幸俊(じゅうざゑもんのじょう ゆきとし)に後見されて育ちます。
永禄十一1568年、16歳で元服して「二代目・山本菅助」を襲名、主君・武田家より小者6名の軍役を課せられます。その後の戦歴は不明ですが、外征にせよ、守備にせよ、伝説の軍師・山本菅助の嫡男として大きな期待が寄せられたことでしょう。
しかし信玄公の死(元亀四1573年4月12日)から2年後の天正三1575年5月21日、織田・徳川連合軍との戦い(長篠の合戦)で討死してしまいます。
23歳という若さで亡くなった幸房に代わり、義兄の十左衛門尉幸俊が家督を継承しました。