手洗いをしっかりしよう!Japaaan

江戸時代、飛脚に特急を頼むと45万円!?町民にも親しまれた飛脚の値段を紹介

江戸時代、飛脚に特急を頼むと45万円!?町民にも親しまれた飛脚の値段を紹介

@
2020/03/25

江戸時代、手紙や荷物を運んでくれる飛脚は大活躍していました。もともと幕府の公用便として始まった飛脚は、各宿場にある問屋場(といやば)で人夫や伝馬の継立てを行ったことから、「継飛脚(つぎびきゃく)」と呼ばれるようになります。

その後、上方にいる武士が江戸にいる家族に手紙や荷物を届けるようになり、武士たちによって独自の飛脚ルートが作られました。

さらに、上方の商店が江戸に支店を出したことで、民間にも飛脚利用者が増えるようになります。ただし、民間人は問屋場を利用できないことから、当初は武士の飛脚に便乗する形で始まったそうです。

飛脚に特急を頼むと45万円もかかった?!

江戸に進出する商店が増えたことで、飛脚も発展していきます。そうして、民間の飛脚が幕府に認められたのは寛文3年(1663年)のこと。

継飛脚は元禄9年(1696年)で大阪ー江戸間を約4日、宝暦13年(1763年)になると普通便では約5日でしたが、最急便だと約3日の速さでした。しかし、民間の飛脚は継飛脚ほど速くはありません。

江戸の飛脚半端ないって!江戸から京都を3日間で走破した幕府公用の継飛脚とは?

自転車も車も電車もなく、頼りにできる運送手段は人の脚のみだった江戸時代。そんな時代に己の脚ひとつで日本全国を駆け回り、大切な手紙や荷物を運んだ「飛脚」。今回はそんな彼らの中でも半端ない速さだった「継飛…

民間の飛脚は大阪ー江戸間を約8日、遅いと一か月もかけて荷物を届けていました。ただし、民間でも特急だと約6日で荷物を運びます。この特急便、文化年間(1804年から1818年)ごろで約45万円もしたそうです。

これほどの金額をかけてまで荷物を運ぶ理由として、商人にとって重要な商機があったからでしょう。ちなみに、普通便だと1700円程度でした。

2ページ目 江戸市中限定の飛脚便は庶民的な値段

 

RELATED 関連する記事