「花見」といえば「桜」をすぐにイメージしてしまうほど、日本人と桜の関係は切り離して考えることはできません。冬の寒さがすっかりやわらぎ、いよいよ春だという頃、咲き乱れる幻想的な桜を見上げ、誰もが足を止め和まされるのです。
筆者が普段活動の拠点を置いている新潟県も花見の季節になるとあちこちで観桜会が催されます。中でも毎年盛大に行われる「高田城址公園観桜会(旧高田城百万人観桜会)」は、日本三大夜桜といわれ、県外や国外の観光客が大勢集まります。雪国の寒い冬を乗り越えてみる桜は、その喜びも格別でしょう。
ところが、桜の花がその姿を彩っているのもほんのわずかな期間だけです。春の変りやすい天候の中で風雨にさらされ、あっという間に散ってしまいます。そのはかなさ、せつなさも、日本人の心を打つのです。
人間の生のはかなさ、人の世の短さを誰もが思い、散る桜に重ねて愛おしむ。桜には日本人の人生観のようなものも投影されているのかもしれません。
日本には桜の固定種が一つだけあります。古代より、桜といえば自然に生えている山桜のことでした。その山桜は山野から日本人の暮らしを見守ってきました。その可愛らしい花が咲く誇るのはちょうど1年の農作業がはじまる時期とも重なります。
厳しい冬が終わり、いよいよ田畑を耕す季節が巡ってきたことを告げる桜に日本人は自然の豊かさを感じてきました。
2ページ目 「サ」は、山の神を表し、「クラ」はそんな神様が依り憑く依り代