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鹿のため死刑になった逸話も。奈良の鹿って誰が管理してるの?あまりにも当たり前の光景で…

鹿のため死刑になった逸話も。奈良の鹿って誰が管理してるの?あまりにも当たり前の光景で…:2ページ目

鹿を死なせ死刑になった時代も

代々鹿は神の使い「紳鹿」として大切に扱われてきましたが、こんな悲劇が興福寺に伝わっています。

昔、興福寺の小僧に三作という少年がおり、お堂で手習いをしていたところ、習字の紙を鹿に食べられそうになり思わず文鎮を投げつけました。

すると運悪く鹿が死んでしまい、彼は生き埋めの刑にされてしまったということです。今でも「伝説三作石子詰之旧跡」という石碑が建っていますが、史実かどうかはわかりません。ただこの話は元禄時代に近松門左衛門が浄瑠璃「石子詰めの三作」として創作し、世に知られるようになります。

また、江戸時代は鹿を死なせると処罰されたため、奈良の人たちは朝起きると玄関前に鹿の死骸がないか確認したそうです。それが自然死であっても、お役人に咎められたら大変!

ということで、死骸があれば別の場所に移動させたそうです。

鹿の角きり

10月になると鹿の角きりが行われます。逃げ回る鹿を追いかけ、角を切り落とす儀式ですが、テレビニュースで知っている方もいるでしょう。この角きりを行うのは「勢子」と呼ばれ、烏帽子をかぶり神官姿で登場します。

この行事ではデモンストレーションとして数回に数頭にしか行いませんが、裏ではすべての雄を麻酔で眠らせ、その間に切り落とすという大変な苦労をしているのです。

これは雄鹿同士の怪我防止のためでもあり、人間のためでもあって、江戸時代初期に奈良奉行の命で始まりました。

3ページ目 鹿の糞はどうしてる?

 

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