虚無僧がイケてる?江戸時代に実際にあったファッションとしての虚無僧スタイル!鈴木春信の魅力 その5パート3:2ページ目
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曽我ものが江戸時代に与えた影響
江戸時代、延宝四年正月(1676年2月)に初代市川團十郎が『寿曾我対面』を初演し、演じた“曽我五郎”が大当りした後は、毎年初春歌舞伎の正月興行には『曽我もの』は吉例として欠かせない出し物となりました。
江戸時代から100年以上延々と、毎年の正月、江戸の町では3つの歌舞伎小屋のためにあれやこれやと趣向を変えて書かれた、いくつもの新作の『曽我もの』が上演されたのです。
歌舞伎の「曽我もの」の中では以下の作品のような虚無僧が登場します。
上掲の浮世絵は明和8年(1771)正月中村座『堺町曽我年代記』の曽我兄弟の虚無僧姿での対面を描いたものです。
こちらの作品も兄十郎と弟五郎の二人の虚無僧姿が描かれています。両方とも柔らかな線で、鈴木春信の画風に似ています。それもそのはず、一枚目の作者「一筆斎文調」は“美人画”で鈴木春信の影響を受けたと言われ、二枚目の作者「石川豊信」は鈴木春信に影響を与えたと言われる人物なのです。
それにしても虚無僧の衣装は派手。それは歌舞伎の舞台での衣装だからです。しかし筆者がこの着物着てみたいと思うように、江戸時代の人も憧れたのではないでしょうか。
上記の浮世絵(歌舞伎絵)は曽我兄弟が仇討の相手、工藤祐経と対面する場面です。左の兄・十郎の着物には“千鳥”が、右の弟・五郎には“蝶”の柄模様が描かれるようになりました。虚無僧姿の曽我兄弟も着物の模様が千鳥と蝶で描き分けられています。
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