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伝承の謎を調査!鎌倉の鶴岡八幡宮にも安芸の宮島みたいな「海上鳥居」があった!?

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絶対になかったとは言い切れない?

しかし『鎌倉大観』の根拠は室町中期の『廻国雑記』なのだから、江戸時代よりもっと昔には四の鳥居があったのかも知れない……そんな可能性も否定できないことはありません。

その可能性を追求してみると、まず源頼朝(みなもとの よりとも)公が若宮大路を整備したのは寿永元1182年ですから、鳥居が建てられたとすればこれ以降になるでしょう。

しかし、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡(あづまかがみ)』に海上鳥居の記録はなく(そんなランドマーク的なものがあれば、誰かが言及したり、そこで何かエピソードを残しそうなものです)、となると『吾妻鏡』でカバーされていない文永四1267年以降に誰かが建てたのかも知れません。

幕府の滅亡後も、鎌倉は東国の要衝として重要な役割を果たしていましたから、鎌倉に縁(ゆかり)のある有力者が何かの祈願か奉賽(ほうさい。神様へのお礼)に海上鳥居を奉納したものの、木製の鳥居が風雨によって朽ちてしまい、数十年から百数十年以上の歳月を経た残骸が道興に詠まれたことが口伝えに……そんな可能性も「絶対にない」とは言い切れません。

(※その後、潮流によって完全に流失してしまえば、平成十五2003年に海中を調査したところで何も遺構が発見できないのも道理です)

鎌倉の海にそびえ立つ大鳥居……かつてあったかも知れないそんな眺めに想いを馳せてみるのも、鎌倉散策の一興と言えるでしょう。

※参考文献:
佐藤善次郎『覆刻 鎌倉大観』かまくら春秋社、昭和六一1986年
大月隆『廻国雑記』文学同志会、明治三二1899年
澤寿郎『鎌倉古絵図・紀行』東京美術、昭和五一1976年
佐成謙太郎『鎌倉名勝誌』鎌倉名勝誌発行所、大正五1916年
原田寛『鎌倉謎解き街歩き』実業之日本社、平成二六2014年

 

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