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無能とは言わせない!戦国時代の残念な武将・今川氏真は文化人としてなら有能だった

無能とは言わせない!戦国時代の残念な武将・今川氏真は文化人としてなら有能だった:2ページ目

和歌が大好き

氏真は異常なほど和歌に傾倒していました。まだ今川家が滅びる前は領内で連歌会を催し、公家たちとも交流を行っていました。

氏真は詩歌に通じていた太源雪斎に和歌の指導を受けたとされており、技法に関しては冷泉為益より指導を受けました。

そして徳川家康の配下になってずいぶん経った天正19年(1591)、氏真は京都へ移り住みます。京都では公卿の山科言経や公家で歌人の冷泉為満(為益の子)と交流し、定期的に催された和歌や連歌の会に参加していました。

そのように和歌に情熱を注いだ結果、生涯で1658首の和歌を後世に残しました。

また、御水尾天皇が選定した和歌集『集外三十六歌仙』に氏真は名を連ねています。『集外三十六歌仙』とは室町から江戸時代初期の歌人を三十六歌仙にならって取り上げたものです。

3ページ目 蹴鞠の腕は天下一品

 

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