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歴史の通説で「源頼朝の肖像」と言われていたあの肖像の主は本当は誰なのか?

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この肖像画の人物は誰なのか?

1995(平成7)年、米倉氏は『源頼朝像』という著書を出版。その著書の中で頼朝像と伝えられている肖像画のモデルは頼朝ではなく、足利尊氏の弟・直義であるとしました。直義は兄の尊氏とともに鎌倉幕府を倒し、室町幕府の創設に貢献した人物です。

米倉氏によると、神護寺伝来の源頼朝像・平重盛像・藤原光能像はどれも伝えられる人物を描いたものではなく、源頼朝は足利直義、重盛像は足利尊氏、光能像は足利義詮だとしています。

また、歴史学者の黒田日出男氏も2012(平成24)年に『国宝神護寺三蔵とは何か』を出版。同著の中で、尊氏の像は尊氏と八幡菩薩とのダブルイメージ、直義の像は自分と弘法大師と聖徳太子のトリプルイメージで描かせたとしています。

黒田氏によれば、直義は禅僧の夢窓疎石に帰依し、夢窓から聖徳太子を手本にした政治が求められました。そこで直義は全国に寺や塔を建て、仏教の信仰を図りました。

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