歴史の通説で「源頼朝の肖像」と言われていたあの肖像の主は本当は誰なのか?:2ページ目
冠をかぶって正装した頼朝の姿は、武家の棟梁としての風格に相応しく、まさに鎌倉幕府初代将軍として端正で威厳に満ちています。
神護寺に伝わる『神護寺略記』の「仙洞院」の条によると、もともと後白河法皇、平重盛、源頼朝、藤原光能、平業房の5人の肖像画があったのですが、このうち後白河法皇と平業房の肖像画が失われてしまい、残っているもののうちの一つが伝頼朝像とされているのです。
ところが、この頼朝像には古くから疑問が上がっていました。
この肖像は後世に制作されたものでは?
その疑問とは、画風が藤原隆信の時代の頃と異なっており、後世に制作されたものではないだろうか、というものです。
実は、冠のつけ方も人物が敷いている畳の緑のデザインも鎌倉時代中期以降にでてきたもので、絵が描かれたときには存在したかったと考えられています。
このような経緯から、現在の教科書や歴史書などでは、この肖像画を「源頼朝像」ではなく、「伝源頼朝像」というように表記するようになりました。
では、この肖像画の人物は誰なのか、ということになりますが、この疑問に応えたのが美術史家の米倉柚夫氏でした。