憎まれっ子、世に憚る!父親の仇討ちで新選組に入隊した三浦啓之助の生涯を追う【下】:2ページ目
「おめェの頭脳は、新しい日本で必ず役に立つ……」
「……だぁからロクなことにならねェっ言(ツ)ったじゃねェか!ちったァ他人の言うことを聞きやがれこのトンチキっ!」
獄につながれた啓之助の身柄を引き受けたのは亡き父・象山の義兄・勝海舟。幕府の要職にあって激務の中、啓之助の実母であるお蝶に泣きつかれたのかも知れません。
「ごめんよ義伯父さん……恩に着るよ」
「バカ野郎、てめぇ次に悪さしたらもう助けねェからな!」
そんなやりとりがあったかどうだか慶応四1868年、啓之助は福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)の開いていた慶應義塾に入学します。
「えぇ……義伯父さん、二十一歳で今さら学問かよ……」
「いいから入っとけ!聞けばお前ェ、新選組じゃあ偉ッそうに『これからの日本は学問で切り拓く』とか何とか吹いてたらしいじゃねェか!」
そして、真面目な顔で言いました。
「……いいか啓之助。これから江戸は大混乱(おおごと)ンなるかも知れねェが、俺ァ何としてでもそれを食い止めるつもりでいる。そういう切羽詰まった状況で、おめェにうろちょろされたら足手まといなンだよ……いや、おめェが能無しって訳じゃあねェ。むしろおめェが親爺から受け継いだ頭脳は、新しい日本でこそ役に立つ……だからそれまでは、ここ(慶應義塾)で真面目に学問を積んでおけ……悪い事ァ言わねェ……いいな」
「……解ったよ、義伯父さん」
勝海舟の言葉がよっぽど身に沁みたのか、慶應義塾での素行については(少なくとも記録されるような)問題を起こすようなことはなく、明治維新の戦乱に巻き込まれることもなかったようです。
かつての古巣である新選組の滅び去る様子を、啓之助はどんな思いで見守っていたのでしょうか。