伝説の美しき遊女・地獄太夫。人々に愛された地獄太夫と一休禅師が与えた影響[後編]

風信子

これまでの記事はこちら

伝説の美しき遊女・地獄太夫。人々に愛された地獄太夫と一休禅師が与えた影響[前編]

地獄太夫とは[caption id="attachment_102614" align="aligncenter" width="458"] 月岡芳年 新形三十六怪撰 “地獄太夫悟道の図”  ウィ…

伝説の美しき遊女・地獄太夫。人々に愛された地獄太夫と一休禅師が与えた影響[中編]

前回の前編はこちらから[insert_post id=102552]門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし[caption id="attachment_102638" ali…

地獄太夫という名の菩薩

この絵を描いた河鍋暁斎は、東京湯島の霊雲寺に仏教修行の弟子となったこともあり、同じ求道者(菩薩)としての“地獄太夫”に共感したのか、地獄太夫の絵を多く残しています。

上掲の絵では、骸骨たちが酒をのんだり三味線をひいたり喧嘩をしたり、もう好き放題やっています。そんな夢を見ている地獄太夫はとても優しい顔をしています。悪夢を見ているような苦悶の表情ではありません。それこそ骸骨たちを包み込むような、全てを受け入れているような表情です。

この絵が描かれた1874年は、元号が明治に変わった6年後です。江戸から明治に時代が代わり、日本の歴史上の大変革期でした。人々のこれまでの生活は一変し、今までのものが否定され、いくつもの争いが起こり、多くの人が傷つき、失われ、亡くなり骨となっていったのです。

4ページ目 閻魔大王を穏やかに見上げる地獄太夫

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了