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NHK大河ドラマ「いだてん 東京オリムピック噺」振り返り 高石勝男、水泳でオリンピック初入賞を果たした男「いだてん」第29話振り返り

高石勝男、水泳でオリンピック初入賞を果たした男「いだてん」第29話振り返り:3ページ目

東京オリンピックでは水泳日本代表総監督に

引退した高石は、以後後進の育成、さらには水泳普及に努めました。子どもたちが誰でも泳げるように、という教育を進め、トップ選手たちだけでなく泳げない子どもたちの指導にも熱心に取り組みました。

晩年、高石は東京オリンピックの水泳日本代表総監督に。さらには日本水泳連盟の会長も務めました。

ところが、オリンピックが終わってみれば水泳は惨敗。かつてアメリカをも上回った日本の水泳は、このころには再び世界の後れを取ってしまっていたのです。世界各国で温水プールが普及して一年中練習できるようになったのに対し、日本では未だ屋外プールが主流だったことも敗因だったとか。

高石はそれまでの指導方法から方向転換し、スポーツ科学に目を向けていたところでした。「人間の力は、限界に達したかに見える時に突如として天才が現れ、とてつもない力を発揮して、また新しい記録が生まれていく。こうした背景には、第一の成果としてスポーツ科学の進歩がある。」

かつて第一線で活躍した指導者の体験に基づく技術・勘に頼り、ひたすら泳ぐ指導をするのではなく、科学的な裏付けをもとに指導していく。「今後、スポーツ科学の研究が一段と進むにつれて、人間の力の限界はさらに前進するだろう」と述べています。

ただ、東京オリンピックには間に合わなかったのか……。高石は惨敗した悔しい思いを抱え、水泳連盟会長を辞任。オリンピックの2年後に59歳で亡くなります。

多くの人々から慕われた高石の葬儀は派手なもので、大阪の扇町プールで行われました。プール一面に花が飾られた華やかな葬儀で、高石の教え子たちがプールに飛び込んで泳ぎ、「献永」を捧げたとか。

かつての仲間たちをはじめ、葬儀に参列する人がの列が絶えないほどだったそうです。

 

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