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NHK大河ドラマ「いだてん 東京オリムピック噺」振り返り 高石勝男、水泳でオリンピック初入賞を果たした男「いだてん」第29話振り返り

高石勝男、水泳でオリンピック初入賞を果たした男「いだてん」第29話振り返り:2ページ目

日本近代水泳発祥の地で鍛えられた高石

高石は大阪府出身。彼が進学した茨木中学(現・大阪府立茨木高等学校)は、「日本近代水泳発祥の地」として知られています。

ドラマ内でも描かれていた通り、当時の日本にはろくなプールがありませんでした。そんな中、学校プールとして初めて設置されたのが茨木中学のプール。設置が始まった1913年当時は「水泳池」と呼ばれていて、生徒たちの手で作られたものでした。当初は周辺住民が洗い物に使うなど、ろくな環境ではなかったようです。

このプールは1916年に竣工しますが、当時生徒であったノーベル賞作家である川端康成もプールのための穴掘りに参加したそうです。

そうしてプールが完成して以来、茨木中学は数々の水泳選手を輩出しました。高石もそのうちの一人であり、ここでクロールを身につけます。彼を指導したのが、中学の教諭であった杉本伝でした。杉本は世界最先端の水泳研究を学び、高石勝男らを育成したのです。

パリ大会で5位入賞、アムステルダム大会で銀・銅

実力をつけた高石は、1924年オリンピック(パリ大会)に初出場するやいなや、自由形100mおよび1000mで5位入賞を果たしました。

日本の水泳選手が日本泳法(古式泳法)をひっさげてオリンピックに初出場し、クロールをマスターした他国選手たちに力の差をまざまざと見せつけられてからちょうど4年。たった4年で世界標準の泳法であるクロールを学び、世界に足並みをそろえたのです。

高石の躍進はここでとどまらず、さらに4年後のアムステルダム大会では800m自由形リレーで銀メダルを、100m自由形で銅メダルを獲得しました。

続くロサンゼルス大会では、ドラマで描かれた通りロサンゼルスへ遠征はしたものの選手には選ばれず……。後輩たちの大活躍を間近で見ていることしかできなかった高石の胸中はわかりませんが、彼らの活躍も先駆者である高石あってこそのものだったでしょう。

3ページ目 東京オリンピックでは水泳日本代表総監督に

 

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