【豊臣兄弟!】堤防2.8kmをわずか15日で!豊臣秀長が“高松城水攻め”を可能にした「段取りの力」
秀吉軍を支えた実務の中心!豊臣秀長はなぜ「兵站の達人」だったのか
戦国武将といえば、合戦で敵を打ち破る姿がまず思い浮かびます。
しかし大軍を動かすには、食料や武器だけでなく、資材や人手、それらを用意するための資金も必要でした。
そのために大切なのが兵站です。現代でいえばサプライチェーンの構築と管理に近く、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長はこの兵站に特にすぐれた人物でした。
初期の秀吉陣営で「四人衆」と呼ばれた人々の中でも、秀長は総務・兵站を担当していました。彼は、軍が動き続けるために必要な実務の中心だったのです。
その能力がよく分かるのが、備中高松城の水攻めでしょう。
ここでは敵との戦闘以上に、大規模な土木工事をどう実現するかが重要になりました。
天正10(1582)年、秀吉は毛利軍を攻めるため、播磨姫路城から山陽方面へ進軍します。
一方毛利方も備前・備中の城を修繕します。その一つが清水宗治の守る備中高松城でした。秀吉は川から水を引いて城を水攻めにし、この高松城の兵糧の補給を断とうとします。
しかし、この作戦には巨大な堤防が必要でした。合戦というより、巨大な公共工事に近い規模の仕事だったのです。
2ページ目 戦に勝つ力と勝ち続ける仕組みの違いとは?武田勝頼の滅亡と秀長の実務力
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