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『豊臣兄弟!』ついに秀吉と柴田勝家が全面衝突!勝家を絶望へ追いやった「美濃大返し」の狂気的な爆走劇

『豊臣兄弟!』ついに秀吉と柴田勝家が全面衝突!勝家を絶望へ追いやった「美濃大返し」の狂気的な爆走劇

時は天正11年(1583年)4月。前年の清須会議以来、対立を深めていた羽柴秀吉(池松壮亮)と柴田勝家(山口馬木也)がついに全面衝突、雌雄を決することとなりました。

この賤ヶ岳の合戦では、秀吉が「美濃大返し(みのおおがえし)」を演じて敵を驚愕せしめ、大勝負を制しました。

今回はこの「美濃大返し」について、わかりやすく紹介したいと思います。

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中川清秀が討死!秀吉の決断は

天正11年(1583年)4月20日、秀吉は岐阜城に立て籠もる織田信孝(結木滉星)を攻めるため、美濃国大垣(岐阜県大垣市)まで来ていました。

その陣中へ伝令が駆け込み、近江国大岩山砦(滋賀県長浜市)が陥落し、守将の中川清秀(すがおゆうじ)が討ち死にしたとの急報が入ります。

秀吉は考えました。このまま岐阜城を目指すか、あるいは転進して清秀を討った佐久間盛政(遠藤雄弥)を撃破すべきか。

思案の結果、秀吉は大きく方向転換することを決断します。

……切懸(きりかかりて)可打果事(うちはたすべきこと)有掌中(しょうちゅうにあり)。天下之雌雄(てんかのしゆう)此節也(このせつなり)……

※『柴田退治記』より

【意訳】斬りかかって討ち滅ぼす好機≒敵は我が掌中である。天下分け目の決戦を制するのは今しかない。

岐阜城への道のりは、道中の洪水で閉ざされていました。背中を見せても、信孝が自分たちの背後を衝くのは難しいでしょう。

反対に自分たちも岐阜城へは行けず、大垣に留まっていれば将兵の動揺が広がり、士気が下がる一方です。

ならば盛政が率いている柴田勢の主力を叩いておこうと考えたのでしょう。

2ページ目 なんと約52キロを約5時間で走破

 

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