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27歳で討死したはずの斎藤龍興は生きていた?戦国時代、信長に敗れた美濃斎藤家当主に残る2つの生存説『豊臣兄弟!』

27歳で討死したはずの斎藤龍興は生きていた?戦国時代、信長に敗れた美濃斎藤家当主に残る2つの生存説『豊臣兄弟!』

 
2026/05/30

美濃国を守るため織田信長と戦った美濃斎藤家3代目当主・斎藤龍興

信長に敗れ美濃国から去った後には三好三人衆や石山本願寺、縁戚の朝倉義景を頼り、最終的に天正元年(1573)の刀根坂の戦いで討死しました。

27歳の若さで非業の死を遂げた龍興でしたが、生存説があるのはご存知でしょうか。

今回は龍興にまつわる2つの生存説をご紹介します。

石山本願寺を頼り、再起を図った

刀根坂の戦いを生き延びた龍興は、かつて結びつきがあった石山本願寺を頼ったといわれています。そこで長島一向一揆で共に戦った了願と再会し、2人は石山合戦を雑兵に混じりながら戦います。

天正8年(1580)に石山本願寺が信長と和睦をすると、美濃国羽島郡足近村(現在の岐阜県羽島市足近町)に移り住み再起を図りました。

しかし、それは叶わず天正10年(1582)の5月5日に龍興は自害してしまいます。

信長の勢いが凄まじく、誰を頼っても信長に一矢報いることができないと悟ったのかもしません。また、結核による病死ともいわれています。

共に移り住んでいた了願は龍興を弔うため、長島にあった自身の寺を移し、願教寺を建立しました。

実際に願教寺には、龍興だけではなく義龍や龍興実子・義仁の親子3代にわたる墓や斎藤家の系図が大切に保管されています。

2ページ目 名を変え、農民となった

 

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