知識は独占させない!幕末、福沢諭吉が幕府の洋書税に激怒した理由…その後の転機とは
幕末期の江戸幕府は、開国によって軍艦や武器を買う必要が生まれ、財政が一気に苦しくなりました。
そこで幕府は新しい財源を探し、御国益掛という役所をつくって、酒への課税や船の通行税など、さまざまな案を検討します。
その中でもひときわ異彩を放ったのが、なんと糞尿に税をかけるという案でした。
江戸では糞尿は肥料として価値があり、「糞尿は大家の財産」というほど重要な収入源でした。 幕府はこの都市の副産物に目をつけ、財政に回そうとしたのです。
この話を聞いた福沢諭吉の知人は「抗議のために大小便をやめよう」と冗談を言い、諭吉も大笑いしたと伝えられています。
結局、明治維新によってこの糞尿税という案はお流れになりましたが、幕府が追い詰められていた状況を象徴する奇妙な新税だったと言えるでしょう。
洋書税の衝撃
さて、前述の通り、かの福沢諭吉も税制に対してはそれなりに敏感に反応していたわけです。その諭吉を激怒させた事件がありました。
糞尿税が立案されたのと同じ頃、幕府はもう一つの新税を考えます。それは洋書税です。
開国で西洋文化が流れ込み、洋書の需要が高まると見た幕府は、洋書を独占的に輸入し、税をかけて売ることで財源にしようとしました。
幕府は慶応三年にはアメリカへ使節を送り、その際に大量の洋書を買い入れるよう命じます。 その役目を負ったのが、英語通訳として同行していた福沢諭吉でした。
しかし諭吉は、独学で英語を学び、西洋の知識を広く日本人に伝えることが重要だと考えていました。
そんな彼から見れば、洋書を高く売りつける政策は文明開化を妨げる行為にしか見えません。 諭吉は御国益掛の役人に「幕府が儲けるための手助けはしたくない」と強く反発します。
この態度は使節団の上層部に嫌われ、「もう役目は終わったから帰れ」とまで言われたと伝えられています。
帰国後、諭吉は幕府の役職を解かれ、幕臣としての立場を失いました。 この出来事が、諭吉が幕府外の立場の人間として明治維新を迎える大きな転機となったのです。

