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『豊臣兄弟!』足利義昭の追放で終わりではない!“幻の16代将軍” 信長に翻弄された嫡男・義尋の生涯

『豊臣兄弟!』足利義昭の追放で終わりではない!“幻の16代将軍” 信長に翻弄された嫡男・義尋の生涯

大河ドラマ「豊臣兄弟!」第17回「小谷落城」では、ついに室町幕府第15代将軍・足利義昭(尾上右近)が追放され、これにより室町幕府は滅亡したと言われています。

しかし義昭を追放した織田信長(小栗旬)に、室町幕府を滅ぼすつもりはありませんでした。

史実では、信長は新たな将軍として義尋(ぎじん/よしひろ?)を擁立するつもりだったようです。

果たして義尋とは何者なのか、その生涯をたどってみましょう。

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天正元年(1573年)、戦国時代に起きた小谷城攻めでは、織田信長の総攻撃によって浅井長政が滅ぼされたという説明が一般的です。大河ドラマ「豊臣兄弟!」 第17回「小谷落城」でも描かれていました。…

生まれてすぐ人質に

義尋は元亀3年(1572年)8月15日に誕生しました。

父親は足利義昭、母親は側室さこの方と伝わります。義昭には正室がいなかったため、長男である義尋が嫡男とされました。

幼名は不明で、史料には「若君」「大樹若公」などと記されています。大樹は将軍を指す言葉で、固有名詞ではありません。

義尋が生まれて間もない元亀4年(1573年)、父の義昭が信長と対立。4月に二条御所へ攻め込まれます(二条御所の合戦)。

まともな軍事力を持たない義昭に勝ち目はなく、朝廷からの勅命によって何とか講和できました。

ただし講和の条件として、義尋が人質にとられてしまいます。この時は間もなく返されたので、義昭らも安堵したことでしょう。

しかし同年7月、義昭は再び信長と対立し、槙島城に立て籠もりました(槙島城の合戦)。まったく、少しは懲りてください。

大河「豊臣兄弟!」でも触れられたように、再び信長に攻め込まれ、降伏した義昭は京都から追放されてしまいました。

2ページ目 人質にとった義尋を新たな将軍に

 

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