【豊臣兄弟!】献身的な弟の正体…金の亡者・小一郎(仲野太賀)のえげつない“守銭奴ぶり”とその真意は?
第1回「二匹の猿」からカネに目がない小一郎(仲野太賀、後の豊臣秀長)。幼馴染の直(白石聖)と賭博をしたり、護衛の報酬を吹っかけたり……。
せっせと貯めたカネは人に見つからぬよう、寺にある「兄の墓」に埋めていました。
「豊臣兄弟!」小一郎はなぜ藤吉郎を恐れた?信長お忍び現場作業!テンポの良さに期待大の第1回を考察
貧しい暮らしから脱却しようと蓄財に励むのはいいことですが、小一郎の場合は、いささか度が過ぎていたようです。
立身出世して暮らしに困らなくなってもなお蓄財を続け、カネに執着する様子は守銭奴と呼ぶに相応しいものでした。
そんな小一郎が亡くなった後に遺された財産はどれほどだったのでしょうか。
黄金1トン&銀塊189トン!?
小一郎の遺産について『多聞院日記』はこう記しています。
……金銀銭(きんぎんぜに)被相糺之処(あいたださるのところ)、金子は五万六千枚余と、法印交替、銀子は二間四方の部屋に棟究て積てあり、数は知れず、料足(銭)の分斎(分際)何万貫あるも積りは不存(ぞんぜず)と被申渡(もうしわたされ)云々(うんぬん)……
※『多聞院日記』天正19年(1591年)1月23日条
ざっくり言うと、秀長の遺産は「金は約56,000枚、銀は部屋いっぱい、銭は数え切れない」とのことでした。
金1枚のサイズはわかりませんが、天正大判(約165グラム)ではなく慶長小判(約18グラム)サイズと仮定します。
銀の量は3.6メートル四方の部屋に、天井いっぱい積み上げられていたそうです。
大和郡山城が当時のままでは現存していないため、天井の高さは不明ですが、ここでな一般的な2.5メートルと仮定しましょう。
出し入れの作業スペースや銀塊同士の隙間を差し引いて、広さ3メートル四方×高さ2メートルで18立方メートルの銀塊があったものとします。
【金銀の重量】
金:約1トン(1枚あたり約18グラム×56,000枚)
銀:約189トン(立方あたり約10.5トン×18立方メートル)
※わかりやすさ重視で、ごくざっくりした数字にしました。
これらを基に、秀長の遺産を計算してみましょう。

