朝ドラ「ばけばけ」母国での壮絶な過去…レフカダ・ヘブンのモデル、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)苦難の前半生
朝ドラ「ばけばけ」には、魅力的な人物が数多く登場します。
ヒロイン・トキの夫となるレフカダ・ヘブンもその一人。彼のモデルとなったのが、ラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)でした。
ハーンは幼少期から家族に恵まれず、さまざまな苦労を経てアメリカでで再出発を果たします。
日本との縁が出来たのは、明治になってから。そして島根で出会ったのは、生涯の伴侶となる人物でした。
ハーンはどのような人生を歩み、何を感じ、どのように生きてきたのでしょうか。
ハーンの前半生を見ていきましょう。
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家族との別離と孤独な生活
1850年6月27日、ラフカディオ・ハーンはイオニア諸島レフカダ島で生を受けました。父はアイルランド出身の軍医少佐チャールズ・ブッシュ・ハーン、母はギリシャ人のローザ・アントニウ・カッシマチです。
ラフカディオとは「レフカダ島の」という意味。ドラマの「レフカダ」は、出生地のレフカダ島をそのまま由来にしたようです。
出生の翌1851年、父・チャールズの西インド転属が決定。1852年、ハーンは母・ローザとともに、父の出身地であるアイルランドのダブリンに移住します。
しかしダブリンに滞在中の1854、母・ローザに異変が起こりました。孤独に耐えかねたのか、お腹の中にいた子供(ハーンの弟にあたる)のために不安定になったのか、ローザは精神を病んでしまったのです。
結局、ローザはギリシアに帰国。1856年には父と母との間で離婚が成立することとなりました。
父・チャールズは子連れの女性と再婚。母・ローザはハーンを引き取ることができず、ハーンは両親に捨てられた形となりました。
ドラマ「ばけばけ」でヘブンが「家族に縁がない人生だった」と語るシーンがありましたね。まさしくモデルのハーンも、家族とは縁が薄い前半生だったのです。
このとき、ハーンを引き取ったのが大富豪であった大叔母サラ・ホルムズ・ブレネンです。
ハーンは厳格なカトリック教育を施されますが、これに反発。逆にキリスト教嫌いとなってしまいました。
以降、神話や民話、民間伝承などに傾倒。のちの日本での文筆活動の原点がここで生まれています。
1863年、ハーンはフランスの神学校に移り、のちにイギリスのダラム大学セント・カスバーツ・カレッジに入学しました。
やがてここで、ハーンの人生を決定づける出来事が起こります。
1863年、カレッジの回転ブランコで遊んでいる最中、ロープの結び目が左目を直撃。光を失った左目は、白く濁るようになりました。
以降、ハーンは自身の写真を撮る際には顔の左側が写らないようにしていたといいます。このコンプレックスは、ドラマでも見られましたね。


