江戸は“カフェ文化”の先駆け!?おかず、おやつ…江戸庶民が生んだ様々な日本の食文化の始まり
「おかず」「おやつ」の誕生
『鬼平犯科帳』や『仕掛人藤枝梅安』には、菜飯や白魚の卵とじ、ハゼの煮物、アサリの鍋などさまざまな料理が登場します。
実際に当時の江戸の街では食材も豊富で、調理方法もバリエーションに富み、現在でも遜色ない味わいの料理が多かったようです。
近郊で獲れた豊富な食材や、流通網の発達によってもたらされた調味料や鰹節などから、長屋暮らしの家族が多かった江戸では、菜屋や煮売屋と呼ばれる惣菜店が大繁盛しました。
主食はご飯が一種類でしたが、菜屋・煮売屋などで買われた副食物を数種類を付けたので、「お数(おかず)」と呼ばれるようになります。
ちなみに「八ツ」(午後2時頃)に軽食を取る「おやつ」の習慣が登場したのも江戸時代です。
店舗を構える店以外に、移動式で煮しめ・茶飯・雑炊・蕎麦・天ぷらなどをその場で食べられる、多種多様な屋台も存在していました。
大店が集まる繁華街はもちろんのこと、火事が多かった江戸に設けられた火除け地である広小路には、恒久的な建物を建てることが禁止されていたため、床店(床見世)と呼ばれる移動式店舗や、よしず張りの見世物小屋などが並びました。
特に両国広小路(現在の東日本橋あたり)は江戸一の賑わいといわれました。
2ページ目 日本版の「カフェ文化」の流行
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