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大河『豊臣兄弟!』に登場か?豊臣家の影に生きた武将・河尻秀長の静かなる最期 【後編】

大河『豊臣兄弟!』に登場か?豊臣家の影に生きた武将・河尻秀長の静かなる最期 【後編】

教科書にはあまり登場しませんが、戦国の舞台裏で確かな存在感を発揮した武将がいます。それが、河尻秀長(かわじりひでなが)です。豊臣秀吉に仕え、戦でも政治でも着実に力を発揮しました。

【前編】の記事に引き続き、河尻秀長の生涯を辿っていきましょう。

※【前編】の記事はこちら↓

大河『豊臣兄弟!』に登場か?豊臣家の影に生き忠義に命を捧げた武将・河尻秀長の生涯 【前編】

豊臣家の影に生き忠義に殉じた武将教科書にはあまり登場しませんが、戦国の舞台裏で確かな存在感を発揮した武将がいます。それが、河尻秀長(かわじりひでなが)です。豊臣秀吉に仕え、戦でも政…

苗木城へ――父祖の地へ戻る

1600年、関ヶ原の戦いを前に、再び天下の形が揺らぎ始めました。

そのころ、秀長は美濃と摂津の領地を与えられ、かつて父が治めていた苗木城の城主として返り咲きます。失ったはずの故郷に、ようやく戻ることができたのです。けれど、それは束の間の安堵でした。

徳川家康と石田三成が対立し、世は東西に分かれます。秀長は豊臣家への忠義を選び、西軍に加わりました。伏見城の戦いや、大坂城の大和口防衛を任され、最後まで豊臣のために戦いました。

1600年9月15日――関ヶ原の戦いの日。彼の最期は、はっきりとはわかっていません。秀長は激戦の中で討死したとも、捕らえられて処刑されたとも伝わります。

苗木城の奪還――旧領主の逆襲

秀長の死後、苗木城を守っていたのは家臣の関治兵衛でした。そこへ攻め寄せてきたのが、かつての苗木城主・遠山友政です。

遠山家は、秀長が苗木に入ったことで領地を追われていました。家康の支援を得た友政は、1,700人の兵を率いて苗木城を攻め落とし、旧領を奪い返します。戦後、河尻家は改易となり、領地はすべて没収されました。苗木は遠山家に返還され、「美濃苗木藩」として再出発を遂げます。

それでも、河尻の名が完全に消えたわけではありません。弟の河尻鎮行が旗本として召し出され、200俵の知行を得て家名を存続させました。

現在、岐阜県坂祝町にある長蔵寺には、父・秀隆、弟・鎮行、そして河尻秀長の墓がひっそりと建っています。

2ページ目 豊臣政権の裏側に存在した「表には出ない支え手」

 

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