【べらぼう】蔦重の晩年に大きな影を落とす松平定信(井上祐貴)の「寛政の改革」とは
天明6年(1786年)に田沼意次が失脚し、代わりに老中となった松平定信(べらぼうで演じるのは寺田心→井上祐貴)。ついに積年の怨みを晴らす時がやってきました。
そんな松平定信は寛政の改革を推進したことで有名ですね。
享保の改革や天保の改革と並ぶ「江戸の3大改革」に数えられる寛政の改革とは、一体何だったのでしょうか。
今回は寛政の改革について、わかりやすく紹介したいと思います。
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寛政の改革が行われた期間は?
寛政の改革は天明7年(1787年)から始まり、松平定信が失脚する寛政5年(1793年)にかけて、足かけ7年にわたって打ち出された一連の政策をまとめた呼び名です。
寛政(1789〜1801年)の間ずっと行われていた訳ではありません。
ちなみに蔦屋重三郎が亡くなるのは寛政9年(1797年)。寛政の改革は、彼の晩年に大きな影を落とすことになります。
寛政の改革は何を目的とした?
寛政の改革には、大きく以下の狙いがありました。
- 幕府財政の建て直し
- 幕府の権威回復
- 社会秩序の維持
- 農村の復興支援
そのためには田沼派の人物を幕閣から一掃し、顔ぶれを刷新する必要があります。そこで三浦庄司や松平康福などが次々と失脚していきました。
しかし実際の改革は田沼政権を踏襲した政策も多く、ただ政権が代わっただけという見方も出来なくはありません。
寛政の改革における主要政策は?
寛政の改革では、目的達成に向けた各種の政策が打ち出されます。
- 倹約令(贅沢禁止令)
- 棄捐令(旗本や御家人の借金帳消し)
- 猿屋町会所(札差への低金利融資)
- 帰農令(出稼ぎ者を農村へ)
- 囲米(米穀備蓄による米価調整)
- 農村支援(負担軽減、児童手当)
- 都市整備(無宿者を収容)
- 貧困対策(町内費用を積立て)
- 思想統制(朱子学のみを許可)
- 出版規制(政治批判や風刺表現を摘発)
- 文武奨励(幕府草創の精神を取り戻す)
こうした政策によって、幕府の財政は一時的に黒字化しました。
また農村復興や都市秩序の回復に一定の効果をもたらし、一説には幕府の崩壊をわずかに延命したとも言われています。
2ページ目 寛政の改革がもたらした副作用?
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