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実は作り話なのか?江戸時代の「義民」や「義賊」誕生の実態 ~佐倉惣五郎、鼠小僧次郎吉~

実は作り話なのか?江戸時代の「義民」や「義賊」誕生の実態 ~佐倉惣五郎、鼠小僧次郎吉~

抑圧政策と武家の堕落

江戸幕府は争いを無くすため、庶民を抑え込む政策を採りました。

むしろ争いというよりも、戦国時代のような血を血で洗うような世の中が再来することのないよう、戦乱や騒乱の種になりそうなものは片端から芽を摘んでいったのです。

そんな事情もあって、徒党を組んで強訴することは厳しく禁じられました。もし起こした者は、例え正当な理由であっても厳刑に処せられました。

こうした、荒療治ともいえる強圧的な抑圧政策によって、人々はお上が決めたことに対して従順になり、世界史的にも奇跡的な平和の時代が到来したわけです。

しかし、人々に不満がまったく無かったわけではありません。特に江戸時代後期は度重なる飢饉に見舞われましたが、効果的な対策を打ち出す武家はほとんどいませんでした。

また、武家そのものの堕落も顕著でした。彼らは武士としての清廉さを捨てて、商人や農民から金をもらうことで苗字帯刀を許すということを行うようになります。

こうして、支配階級としての武士は、その権威を疑問視されるようになっていったのです。

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義民・佐倉惣五郎

人々の不満は高まる一方でしたが、よほどの覚悟が無ければ蜂起することなんてできません。そのような狭間で、かつて貧民のために立ち上がった人物が「義民」としてもてはやされるようになりました。

その一人が、下総国佐倉藩の佐倉惣五郎です。

彼は江戸時代前期、重税に苦しむ農民のために将軍への直訴を行って妻子とともに処刑されたとされています。その勇敢な行動が称えられ、「義民」として語り継がれたのです。

惣五郎を描いた歌舞伎『東山桜荘子』は大きな反響を呼び、惣五郎ブームが巻き起こりました。

とはいえ、惣五郎が実際に直訴を行ったことを示す確実な史料は、今のところ存在していません。

2ページ目 義賊として語られた泥棒・鼠小僧次郎吉

 

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