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日本初の首都「難波宮」の場所はどのように発見されたのか?古代日本の重要な史跡発見の経緯

日本初の首都「難波宮」の場所はどのように発見されたのか?古代日本の重要な史跡発見の経緯

大阪の中心地、法円坂。ここには日本の古代歴史を感じさせる重要な遺跡があります。その名も「難波宮(なにわのみや)」。ここが、かつて日本の政治の中心だったことをご存じですか?

一説には、応神天皇の行宮や仁徳天皇の住まいがこの辺りにあったとも言われています。そして、飛鳥から奈良時代にかけて、日本の「政治」と「儀式」の中心でもあったのです。また、難波宮から日本という国号、元号、の使用が始まったともいわれています。

ところが、難波宮の存在は、『日本書紀』にも記録がありながら、長い間その場所は謎に包まれていました。研究者の間でも、「難波宮はどこにあったのか?」と長らく議論されていたのです。

発見のきっかけとなったのは、1913年に法円坂で発見された瓦の破片。ここから少しずつ調査が始まりましたが、戦争の影響で一時期は中断。

そしてついに1945年、第二次世界大戦が終結した後、ようやく本格的な発掘が始まりました。山根徳太郎という学者を中心に、難波宮跡の調査が進んでいったのです。

2ページ目 重要な史跡が発見され難波宮の存在が確実視

 

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