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日本初の首都「難波宮」の場所はどのように発見されたのか?古代日本の重要な史跡発見の経緯

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1954年、ついに「鴟尾(しび)」という宮殿の装飾が発見され、その存在が確実視されたのです。難波宮の最も古い部分が「前期難波宮」です。これが、まさに日本の最初の首都とも言える場所でした。

この宮殿は、白雉3年(652年)に完成し、元号の始まりとされる「大化の改新」がここで行われました。政治と儀式が行われる場所として、最初に明確に分けられた構造が特徴です。内裏(天皇の住まい)と朝堂院(政治の場)がしっかりと分かれて配置され、後の天皇の住まいの設計に大きな影響を与えました。

その後、難波宮は火災に見舞われますが、再建されます。この時代の難波宮を「後期難波宮」といいます。この時代の難波宮は、聖武天皇が新しい都を作るために築いたもので、平城京の副都としての役割も果たしました。しかし、難波宮への遷都は一時的なものに過ぎず、その後は再び都が変わっていきます。

現在、難波宮跡は「難波宮跡公園」として整備されており、その一部は大阪歴史博物館が建てられました。館内の地下1階では、発掘された遺跡を見ることもでき、古代の歴史を身近に感じられる場所として、多くの観光客や歴史愛好者が訪れています。

また、難波宮跡周辺には「法円坂遺跡」や「大阪城公園」などもあり、古代のロマンを感じさせます。

難波宮跡に立つと、遥か昔の人々がどんな生活をしていたのか、どんな思いでこの地を選んだのかを考えることができます。

難波宮遺跡

住所:大阪市中央区法円坂1
アクセス:Osaka Metro谷町線「谷町四丁目」駅すぐ、JR大阪環状線「森ノ宮」駅より徒歩5分

参考文献:中尾芳治『難波宮の研究』(1995 吉川弘文館)

 

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