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いまだ作者不詳の名作『平家物語』、実は吉田兼好が『徒然草』に正体を書いていた!?その人物とは?

いまだ作者不詳の名作『平家物語』、実は吉田兼好が『徒然草』に正体を書いていた!?その人物とは?

琵琶法師が語り継ぐ軍記ものの名作

「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす」の名調子で始まる『平家物語』

鎌倉時代に成立したとされ、平家の栄華と没落、武士階級の台頭などが描かれています。

ところでこの『平家物語』、現在も軍記物の名作として読み継がれていますが、にもかかわらずその作者の名は今も分かっていません

もともと『平家物語』は鎌倉時代から琵琶法師によって語り継がれ、時代とともに肉づけされて創作が加えられてきました。

琵琶法師とは、琵琶を弾く盲目の僧体の人のことです。

彼らには、琵琶の伴奏により経文を唱えた盲僧の流れと、琵琶の伴奏により叙事詩を謡った盲目の放浪芸人の流れがあり、特に後者は鎌倉中期以降、もっぱら平家物語を語るようになりました。

ややこしい加筆・増補の経緯

伝えられるところによると、『平家物語』は誰かが著した元となるストーリーに増補や加筆が重ねられ、平家滅亡から約100年後の13世紀初めに6巻構成となり、それから半世紀の間にさらに増補が重ねられて全12巻になったと伝えられています。

ちなみに、平家物語は口承で伝わってきた「語り本」系と読み物としての「読み本」系に分類されます。

ここで述べている全12巻というのは語り本の「八坂流」系のものにあたります。平家四代の滅亡で終わる、いわゆる「断絶平家」12巻本のことです。

そして、語り本にはもうひとつ「流系」の諸本があり、こちらは壇ノ浦で海に身を投げながら助けられ、出家した建礼門院が念仏三昧に過ごす後日談や、侍女の悲恋の物語である「灌頂徴」があります。

こうしたいくつかの種類や、先述したような加筆・増補の経緯もあっていろいろとややこしい点もまた、原作者の正体の特定を難しくしている一因でしょう。

2ページ目 答えは吉田兼好の『徒然草』にあり!?

 

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