徳川家に代々仕え忠義を尽くした「勝(すぐろ)一族」三方ヶ原合戦では武田軍を相手に奮戦【どうする家康 外伝】
人質から天下人にまで上り詰めた「我らが神の君」こと徳川家康。
多くの苦難に満ちた生涯は、多くの家臣たちが支えたればこそ乗り越えられたのでした。
今回は代々徳川家(松平家)に忠義を尽くした勝(すぐろ)一族を紹介。こと家康に仕えた勝重久・勝重昌父子に焦点を当てて行きます。
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勝一族について
勝と書いて「すぐろ」と読ませる苗字は珍しいですが、『寛永重脩諸家譜』では「かつ」と読むなど諸説あるようです。
藤原師輔(もろすけ)の子孫・本多助定(右馬允。兼通流か)の末裔と言います。
勝 寛永系図訓すゞろ
今の呈譜に、師輔の後裔本多右馬允助定 按ずるに兼通流 が末孫なりといふ。
※『寛政重脩諸家譜』巻第千九十三 藤原氏(支流)勝
この『寛政重修諸家譜』では系図が勝重信から始まっているので、せっかくだから重信の代から紹介していきましょう。
初代・勝重信(六郎左衛門)
●重信
六郎左衛門先祖より累代御家人たり。重信は清康君広忠卿につかへたてまつる。
※『寛政重脩諸家譜』巻第千九十三 藤原氏(支流)勝
【意訳】先祖代々、松平家臣でした。重信は松平清康(家康の祖父)・松平広忠(家康の父)2代に仕えています。
他に詳しい事績が紹介されていませんが、松平家の勃興(清康)と没落(広忠)をまじまじと見届けたことでしょう。