「愛する男を抱いたこの手がさぞ憎かろう」狂おしく咲き乱れた江戸時代の衆道『男色大鏡』【前編】
男同士の愛……「男色・衆道」は、『日本書記』にも登場しているほど日本では非常に歴史が古いものです。平安・戦国・江戸と、男色は発展。江戸時代には、武士同士・美少年・歌舞伎の若衆ほか、さまざまな男性同士の愛が公然と嗜まれるようになりました。
恋・忠義・情欲・嫉妬、さまざまな激しく想いが狂おしく咲き乱れた江戸時代の衆道。それらを描いた、井原西鶴の『男色大鏡』をもとに探っていきます。
さまざまな男色を描いた『男色大鏡』
一説によれば、日本初の男色・衆道は『日本書紀』に登場し、『万葉集』『伊勢物語』『源氏物語』などの有名な書物にも記載があったといいます。
ちなみに「男色」とは男性同士の愛を表し、なかでも大名と寵童・武将と家臣・武士同士の関係は「衆道」と呼ばれていました。
そんな、武家社会の衆道と町人社会の男色を詳しく取り上げたのが、江戸時代の大阪の浮世草子(※)『男色大鏡(なんしょくおおかがみ)』。
人形浄瑠璃作者で、『好色一代男』『好色五人女』など数々の代表作を残した井原西鶴によるものです。「好色一代男」は、京都の裕福な町人と高名な遊女の間に生まれた「世之助」の、7歳から60歳にいたるまでのさまざまな好色の数々を描いたものです。
※浮世草紙:江戸時代誕生した作品の形式で、当時の風俗や諸相を描いたもの
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