「七日関白」と呼ばれた藤原道長の兄・藤原道兼(ふじわらのみちかね)とは?
2024年の大河ドラマは、吉高由里子さん演じる「まひろ(紫式部)」を主人公とする『光る君へ』に決定しています。それを機に、平安時代に興味を持ったという方も多いのではないでしょうか。
今回は、そんな平安時代に関白となった人物の一人である「藤原道兼(ふじわらのみちかね)」をご紹介します。
今回ご紹介する「藤原道兼」は、父「藤原兼家」、母「藤原時姫(ときひめ)」のもと、961年(天徳5年・応和元年)に生まれました。同母の弟妹に詮子や道長らがいます。
父の意を受け、花山天皇を出家・退位させる
984年(永観2年)に花山天皇が即位すると、藤原道兼は「蔵人頭(くろうどのとう)」という秘書のような役割を持つ側近として彼に仕えました。しかし、父の藤原兼家は、詮子の子どもであり、後に一条天皇となる「懐仁親王」の早期即位を望んでいたため、花山天皇の退位をもくろみます。
花山天皇はちょうどそのころ、寵愛していた女御の死を受け、思い悩むようになっていました。そこに、側近である藤原道兼が父の意を受け、天皇に出家・退位をすすめます。しかしそれが、「自分(道兼)も出家します」と約束し、天皇をだますような形だったのです。
実際、花山天皇が出家する際に、道兼は「父に別れを告げてきます」と言い、その場から立ち去ってしまうのです。
兄の後に関白になったけれど……
父・藤原兼家の死後、兼家の長男であり道兼の兄にあたる、藤原道隆(みちたか)が関白になります。兄の道隆が死去すると、道兼が関白になりました。ちなみに、道隆は就任後5年ほどで亡くなったのですが、彼は大酒のみとして知られており、死因は糖尿病だったと言われています。
兄の5年も長くはありませんが、道兼はさらに短い在任期間でした。995年(長徳元年)4月10日に関白になりましたが、同年5月8日に亡くなってしまいます。この短さから、実際は七日ではありませんが「七日関白」と呼ばれています。