戦国時代は「椅子取りゲーム」から始まった!「明応の政変」後のややこしい争乱まとめ【前編】
最高権力者の三人の養子
近年、応仁の乱とは別に、戦国時代が始まるきっかけになったと言われているのが明応の政変と呼ばれるクーデター事件です。
「下剋上」「戦国時代」もここから始まった!?乱世の発端になった「明応の政変」とは何か【前編】
明応の政変というクーデターこれまでは、戦国時代は応仁の乱が発端で始まったと教科書で教えられてきましたが、最近は歴史研究が進んだことで、応仁の乱よりも先に起きた享徳の乱や永享の乱など、他の地点に乱世…
この事件の後に、首謀者である細川政元と、彼を巡る人々との間での争乱が続いていくことになります。
この争いの内容は、細かく見ていくととてもややこしいのですが、分かりやすくまとめて見ていきましょう。
まずは、明応の政変を起こした細川政元ですが、彼は11代将軍に足利義澄を据えて、それを裏から操る黒幕の位置につきました。事実上、幕府の最高権力者になったわけです。
しかしその権力は長くは続きませんでした。その原因のひとつが、彼は男色家だったので実子がなく、複数の養子を迎えたことです。
まずかれは、摂関家である九条氏から澄之を、また阿波細川氏から澄元を、細川の分家から高国を、それぞれ養子に迎えました。
この中で、最初に家督を譲ることを約束していたのが澄之です。しかし政元はその後、その約束を反故にして澄元を世継ぎに立てます。これが家督争いの始まりになりました。
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