手洗いをしっかりしよう!Japaaan

鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺の裏「粟船山」に伝わる悲しい伝説

鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺の裏「粟船山」に伝わる悲しい伝説

先回ご紹介した常楽寺の裏にある粟船山には、木曽義仲の息子・木曽義高のものといわれている塚があります。

前回の記事

俺たちの泰時の面影が今も残る…鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺「常楽寺」に行ってみた

神奈川県鎌倉市にある大船駅から徒歩15分程歩いたところに、「粟船山(ぞくせんざん)常楽寺」というお寺があります。17世紀頃の建立とされ、現在は鎌倉市の指定有形文化財になっています。昼間は、境内…

元は常楽寺の数百メートルほど西南の田んぼの中にあり、里人は“木曽免(きそめん)”とよび、義高の塚だと伝えてきました。

木曽義高は、11歳から、鎌倉の源頼朝の元で父・義仲の人質として過ごしていましたが、源頼朝と政子の娘の大姫と将来を約束された関係になっていました。ところが、父・義仲が討たれたことにより、人質として鎌倉にいた義高の立場は悪化します。ある春の日、頼朝が義高を誅殺しようとしていることを知った大姫は、義高を密かに逃がそうとします。

義高と同い年の側近で、いつも双六の相手をしていた海野 幸氏(うんの ゆきうじ)が義高に成り代わり、義高は女房姿に扮して大姫の侍女達に囲まれ屋敷を抜け、大姫が手配した馬に乗って鎌倉を脱出する計画を立てていました。

ところが、夜になって、計画が露見、激怒した頼朝が、幸氏を捕らえ、堀親家ら軍兵を派遣して義高を討ち取るよう命じました。

2ページ目 義高は必死に逃亡するも……

 

RELATED 関連する記事