武将・茶人として、徳川家康から重用された細川忠興(三斎)。京都大徳寺「高桐院」に色濃く残る忠興の面影を訪ねる。【どうする家康】
細川忠興(三斎)は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕えた智勇兼備の武将。一方で、茶の湯に精通する数寄者としても知られていました。
関ケ原の戦い・大坂の陣では、徳川側として活躍。肥後熊本藩54万石の礎を築きました。
京都大徳寺の塔頭「高桐院」は、その忠興(三斎)の遺骨が埋葬されている寺院です。
今回は、現在拝観休止中ですが、秋のひと時、眩いばかりの紅葉に彩られる「高桐院」に、色濃く残る忠興(三斎)ゆかりの史跡をご紹介します。
細川忠興が父幽斎の菩提を弔うために創建
京都市中にありながら静寂に包まれた大徳寺。その境内に一画に「高桐院」は佇みます。
「高桐院」は、関ケ原の合戦の翌年、慶長6(1601)年に戦国大名の細川忠興(三斎)が、父幽斎(藤孝)の菩提を弔うために創建した大徳寺塔頭寺院です。
当寺には、正保2(1645)年に、83歳の生涯を閉じた忠興(三斎)の遺骨も埋葬され、熊本藩主細川家の菩提所となりました。