1日で30人相手する日も…異国に売られていった日本人少女たち「からゆきさん」の売春の実態【後編】
Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。今回は19世紀後半、主に長崎や熊本から東アジア・東南アジアに渡って働いた日本人娼婦「からゆきさん」の悲しい歴史について前編に引き続きご紹介します。
前編の記事はこちら
10歳以下の幼い子も…異国に売られていった日本人少女たち「からゆきさん」の売春の実態【前編】
Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。今回は19世紀後半、主に長崎や熊本から東アジア・東南アジアに渡って働いた日本人娼婦「からゆきさん」の悲しい歴史について前後編に分けてご紹介…
からゆきさんの隆盛と闇
こうして日本人女性の海外渡航は明治末期にその最盛期をむかえました。
からゆきさんの主な渡航先は、シンガポール、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地で、さらに遠くシベリア、満州、ハワイ、北米(カリフォルニアなど)、アフリカ(ザンジバルなど)に渡った日本人女性の例もありました。
人身売買業者が長崎や熊本から彼女たちを運んだ船はひどい状況で、船の一部に隠されて窒息死する少女や餓死しそうになる少女もいました。
生き残った少女たちは香港、クアラルンプール、シンガポールで娼婦としてのやり方を教えられ、オーストラリアなど他の場所へ送られました。
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