日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【後編】
日本人はもともと長い間“和服”を着て生活してきました。しかし今は“洋服”を着るのが普通であり、着物などの“和服”を着るのは特別な時でしょう。
日本人の着るものが、和服から洋服へと変遷していく黎明期を『引札見本帖』を参考にご紹介します。
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日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【前編】
日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【中編】
洋装化を必要としたもの
明治時代、日本は「日清戦争」「日露戦争」など海外との戦争を経験しました。これらの戦争では外国に勝利したということで、日本は欧米・米国並の近代的な法治国家として認められ、軍需景気で日本は大いに潤いました。
外国との戦争でまず必要な“軍服”は、動きやすく近代を象徴する“洋服”であることが日本軍にとっては必須でした。
日清戦争において初めて女性の従軍看護婦が活動を始め、それは日本内地においてのみの活動でしたが、その存在が国内で広く知られることとなり、看護婦を志望する女性が増えました。
その後、日清戦争において初めて外国の戦地で戦う軍隊に、従軍看護婦達も戦地へと赴いたのです。
従軍看護婦の制服は働きやすさを重視した洋服でした。それでも従軍看護婦達のスカートの裾が長いのは、今までの日本の歴史上において女性が足を出した服装を着ることがなかったためでしょう。
このように軍服や制服から徐々に洋装が庶民の生活にも馴染んでいったのです。