夫と息子の仇討ちに男装して出撃!戦国時代、加藤清正を追い詰めた男装の女武者・お京の方【四】
前回のあらすじ
戦国時代、肥後(現:熊本県)の国衆「どもり弾正」こと木山正親(きやま まさちか)に嫁いだお京(きょう)の方。
新しく肥後国を支配することになった小西行長(こにし ゆきなが)に対して、国衆たちが叛乱(天正天草合戦。天正十七1589年)を起こし、正親も積年の恩義からこれに加勢。
圧倒的劣勢に臆することなく正親は奇襲をしかけ、敵将・加藤清正(かとう きよまさ)との一騎討ちで、みごと清正を組み伏せたのですが……。
前回の記事
戦国時代、加藤清正を追い詰めた男装の女武者・お京の方の武勇伝【三】
あと一歩まで追い詰めながら……「どもり弾正」無念の最期
「……御屋形様!」
顔も識別できないほど濃く立ち込めた霧の中を、正親の家来が槍を構えて駆けつけて来ました。片方が片方を組み伏せているのは判りますが、どっちが主君か間違えたら一大事……立ち止まって目を凝らし、見極めようとしています。
(下が清正だ!突け!)
そう思った正親ですが、こんな時に限って吃音(どもり)がひどくなってしまい、とっさに声が出ません。
「下だ!下を突け!」
すかさず声を発したのは清正。家来はそれを聞いて、瞬時に思考を回転させます。
(今のは御屋形様の声ではない。つまり敵だ。敵が「自分を突け」と言う筈はないから、下に組み伏せられている御屋形様を突かせるため「下だ」と言ったに違いない!)
「死ねぇっ……!」
かくして清正の機転に惑わされた家来は、あろうことか自分の主君を槍で突き殺してしまいます。その隙に清正は体勢を立て直して家来を討ち果たし、急死に一生を得たのでした。
「……木山弾正、討ち取ったり!」
あと一歩のところまで追い詰めながら、千慮の一失で無念の逆転。この場所は佛木坂(ぶっきざか)と言うそうですが、正親の無念を偲ぶ人々によって「無念坂(むねんざか)」とも呼ばれています。
※伝承によると、この坂では不思議な現象が起こるそうで、現代でも坂を下りきったところで車のギアをニュートラルにすると、少しだけバックする(坂を上る)と言われています。ホントかどうか、現地に行ったら試してみたいですね。