日本に憧れて…鎖国の江戸時代、日本に密入国し日本初の英語教師となった外国人の軌跡
江戸時代に行われたキリシタン弾圧の制作の一つ、鎖国。来航や入港を厳格に規制されている中、密入国をして日本に入国した外国人がいました。その人物はラナルド・マクドナルド。「日本初の英語教師」とも言われています。
今回は密入国をしてまで日本に来たかったラナルドのどうしても日本に来たかった理由と密入国後の日本での活動を紹介します。
日本に来たかった意外な理由
文政7年(1824)、ラナルドはイギリス人とアメリカンインディアン(チヌーク族)の間から生まれます。幼少期よりチヌーク族の祖先は日本人と伝えられてきたので、ラナルドは日本への憧れを持っていました。
さらにその憧れをより一層強くしたのが、ラナルドの容姿が日本人と変わりないこととアメリカに漂流した日本人3名との出会いでした。
そんな要因もあってか「いつか祖先の地である日本で活躍し、日本の発展に貢献したい。」と考えていたラナルドは、日本に行くために銀行員見習いから捕鯨船プリマス号の船員となります。
弘化2年(1845)ラナルド21歳の時でした。
日本へ密入国!!
嘉元元年(1848)6月プリマス号が日本海で捕鯨をしながら樺太の方まで北上した頃、ラナルドは小船に書物や食料、衣服を積み込み、船長や他の船員に見送られながら日本を目指しました。
そして、6月27日に焼尻島(やぎしりとう:北海道南部にある島)にたどり着いたラナルドでしたが、無人島と判断すると利尻島(りしりとう:北海道最南端部に位置する島)へ向かいます。
7月2日に利尻島につくと、漂流者を装うためにわざと船を転覆させて上陸しました。
利尻島ではアイヌ人に厚遇され、その後宗谷(そうや)へ向かいます。同年8月宗谷から松前へ移動すると9月の初めには長崎へ移送されました。
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