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江戸時代グルメ雑学(4)串カツスタイルだった江戸の「天ぷら」が現代の形になるまで

江戸時代グルメ雑学(4)串カツスタイルだった江戸の「天ぷら」が現代の形になるまで

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2017/05/05

前回「将軍も惚れ込んだ江戸初期の『天ぷら』ってどんなもの?」は、天ぷらの伝来と成立までを紹介しましたが、ここでは天ぷらが食文化としての市民権を得て現代のようなスタイルになるまでを述べていきたいと思います。

鍬形蕙斎「近世職人尽絵詞」(部分)

西洋から伝わった魚の揚げ物だった天ぷらは、江戸時代に入ってからは様々な姿で発展を遂げます。16世紀には砂糖や塩で味付けした衣を付けたフリッター風の『長崎天ぷら』、17世紀の関西ではごま油を使った野菜をメインにした『つけ揚げ』と言う上方料理が発展しました。そして江戸では、日本橋にあった魚河岸から運ばれた海産物をメインにした、現代に近い天ぷらが生まれるのです。

二度漬け禁止!串カツスタイルだった江戸の天ぷら

江戸では、そこから運ばれた素材を揚げた天ぷらが、寿司や蕎麦と並ぶ『江戸の三味』として、庶民を中心に大ブレイクしました。当時は串刺しになった天ぷらを一度だけつゆに浸して食べるファストフードとして扱われており、屋台で買ったり、食べたりするものでした。

こうのようなスタイルになった理由には諸説があり、紙や木材で出来た家の中で作ると油が原因の火災になりやすかったために自家製天ぷらが禁止された説が有力ですが、屋台を媒体にして天ぷらは市民権を獲得していくのです。

『近世職人尽絵詞』など、当時の絵画には町人の男性だけでなく、女性や子供、そして下級武士と思しき刀を差した男性客も天ぷらを買い求める様子が描かれていることから、安価なグルメとして愛されていた事が見て取れます。

次ページ: 時代が進むにつれて高級志向になっていく天ぷら。世界で愛される日本料理に。

 

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