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NHK大河ドラマ「いだてん 東京オリムピック噺」振り返り 関東大震災で焼野原となった浅草で、浅草寺は避難所になっていた「いだてん」第23話振り返り

関東大震災で焼野原となった浅草で、浅草寺は避難所になっていた「いだてん」第23話振り返り:2ページ目

かろうじて無事だった浅草寺は避難所として機能

凌雲閣ももちろん浅草のシンボルだったでしょうが、それよりも大昔から浅草といえば浅草寺。あれだけの被害に見舞われた地域でしたが、浅草寺は一部を除いてなんとか観音堂をはじめとする堂宇が無事残りました。

このころ仲見世は赤レンガ造りの2階建て洋館でしたが、地震による倒壊を考慮しなかったのか鉄筋が入っておらず脆かったため、跡形もなく崩れ去ってしまいました。無事だった奥の浅草寺境内は多くの人々の避難所として機能したといいます。

なにしろ浅草のほとんどが焼野原になったので、被災者の数も多かった。浅草寺には5万人以上もの人々が避難してきたとされています。

ところで、浅草十二階ほどの高さはなかった浅草寺の五重塔。もともと三重塔だったものが江戸初期に五重塔に建立されて以来、浅草のランドマークとなりました。明治19年の修復工事で足場が組まれた際は展望台にもなっていたそう。修復費用を捻出するために参拝者から入場料をとって登らせていたのです。

浅草十二階は関東大震災で倒壊してしまいましたが、この五重塔はびくともしなかったそう。残念ながら昭和の東京大空襲で焼失してしまいましたが、現在は鉄筋コンクリート、アルミ合金瓦で再建されています。

これまでの「いだてん」振り返り記事はこちら。

 

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